2016-06-13

死んだ作家の朗読で、起こりうること

 おれの好きな翻訳家が、おれの好きな作家の作品を朗読するイベントに出かけた。悪口が混じるので、固有名詞を伏せて書く。

会場は、ギャラリー兼、雑貨屋で2階がギャラリーと雑貨屋、1階がイベントスペースになっていた。開演時刻ぎりぎりに着いたのだが、まだ1階は閉まっている。2階のレジで聞くと、朗読イベントの前に、同じ作家の芝居をやっていて、それが遅れているらしい。「お待ちの間、ギャラリーをご覧ください」とレジの地味な女が言った。

ギャラリーに一歩踏み入れて、立ち止まった。少女の人形が並んでいる。みんな顔色が悪く、うつむいている。眼が顔の半分くらいあり、眼の下にクマがある。派手だが薄汚れた服が着せてあって、まるでパーティの帰りに暴行でもされたかのようだ。

ギャラリーから出て、雑貨屋のほうに移動する。ガラス戸のついた棚に裸の少女の人形が並んでいる。腹の手術跡から内臓が見えている。平積みされている本は、身体の一部を切り取った少女を描いたイラスト集やスカトロと異物挿入がテーマのマンガ。食事中には思い出したくないものばかり並んでいる。

レジの女も、ダイエットしたくて、この店で働いているのかもしれない。

こんな店をやっているやつが、おれと同じ作家を好きなのか?性的趣向が歪むのは「ご自由に」だが、それを芸術っぽく飾りたてているところが気に入らない。同じ本棚に、江戸川乱歩や谷崎、三島、それにおれの好きな作家の本も並んでいたのだが、それもこの店の自己主張の一部かと思うと、気味が悪い。雑貨屋を出て、散歩して待った。


 結局、芝居が終わったのは1時間後だった。1階のドアが開いて、中から汗をかいた役者らしき男が出てきた。役者に続いて出てきた、十名くらいの客と挨拶や社交辞令を交わしている。1時間も余分に熱演して、本人は満足そうな顔をしている。

しかしだな、公演時間を1時間も見誤るなんて、それは熱演じゃなくて練習不足だ。その役者のことは知らないし、芝居も観ていないが、1時間待たされたおれには、もう嫌な奴にしか見えなかった。気がつくと、おれの目当ての翻訳家も客に交じって役者とあいさつをしている。芝居の本も、その翻訳家の手によるものらしい。

「おれ、今回の本は大好きで、主役の話し言葉が、おれの普段の言葉にほんと近いんですよ」と役者は言った。オイオイ、作品じゃなくて自分の話か。役者には2種類、役に没入して自分を消すタイプと、どんな役でも自分で塗りつぶすタイプがある。どちらにも素晴らしい役者はいるが、後者の、特にナルシズムが強いやつを、大根役者と言う。

客はみんな、役者の知り合いのようだ。金と観賞時間を交換し合う、仲間たちらしい。ガヤガヤと散っていった。


 お目当てのイベントが始まる前にたっぷり待たされてくたびれたし、意地の悪い気持ちだった。それでも、翻訳家の朗読は、素晴らしかった。ただ、今回のテーマとなっているはずの、おれの好きな作家についてはひどい言いよう。

「あまり詳しくはない」

「適当に書き捨てたような雑文の安っぽさがすごい」

「絞りカスのようなスカスカ感がよい」

と褒めているのか、冗談なのか。


 朗読する作品のも、半分は直接関係のない別の作家の作品だった。別の作家の作品のほうが、観客の反応もよかった。もしかしたら、この場にいるのは翻訳家のファンではあるがおれの好きな作家のファンではないのかもしれない、と思った。


家を出る前に考えていたことを思い出した。おれの好きな作家の死後、しばらく経って、未発表作品集なども日本では出版されなくなって、それでも根強いファンがいて、そのニーズに応えるイベントがあるのだ、と嬉しかった。それはおれの、勘違いだったのかもしれない。