2015-11-29

水平思考はジャズ・レコードのように

■手に取ったきっかけ

生業にしている仕事のプロジェクトが外的要因で行き詰ったので、
視点を変えるきっかけがほしかったのかな。


■新しいアイデアを創造する思考法「水平思考」


 本書は、まず巻末の要約を読むとよい。
はっきり言って、本書の論理的な内容は、その数ページがすべてだ。

巻末の要約を読んで「言ってること、だいたいわかるな」と共感したら、
内容を読み進めると心地よいだろう。

ただし、答えが提示されるわけではない。

■ジャズ・レコードのレビューだと思って読め




 本書を読んでも「これが水平思考だ」と、はっきりとはわからない。

「水平思考」というのは著者の造語で、論理的な思考を「垂直思考」と対比して名づけている。

つまり、水平思考は「論理的な思考を超えたもの」なのだが、書籍という論理的な媒体で描写することは難しい。

絶対に音楽を表現できない活字で、ジャズ・レコードを評するようなものだ。


 本書が工夫しているのは、視覚イメージに例えて上手に説明しているところだ。
その第四章のおかげで、おれは「わかったような」状態になった。

残りの章は、以下について語る。要約のとおりだ。
  • 水平思考の定義
  • 水平思考が、どのような新しいアイデアを生んだか。
  • 水平思考を阻害する「ラベルづけ」

■水平思考の実践のためには、少し物足りなかった


次は、水平思考で有名な、横井軍平さんの本に手を伸ばそうと思う。

「水平思考の世界 固定観念がはずれる創造的思考法」
エドワード・デボノ著 藤島みさ子訳
きこ書房



著者は、「6つの帽子メソッド」の開発者だということ、
思考法を演繹して「話し方」について軽薄なタイトルの本を書いている、
ということを事後に知った。

2015-11-23

アパートの鍵貸します

■著名なコメディ映画だけど、恥ずかしながらこの歳で初見


もの悲しさが少し混ざっているところが好きだ。
その描き方も上品で、嫌味がない。
立川談志が憧憬するビリー・ワイルダーの凄さ。

保険会社の仕事の無機質さ。

男どもにとって、女性がどう見えているか。

主人公のバクスターがいかにつまらない男か。

バーでバクスターに近づくオバサンのうっとうしさ。

フランの、あてのない生き方と身勝手さ。


■少し甘ったるい


物語は、すごく優しい筆致だ。
それが、ところどころ甘ったるく感じる箇所がある。

ラストは、フランが何処へ行ったのか、わからないほうが好きだ。
バクスターの部屋の物音は、種明しがあって嬉しかったけれど。
物音の後、ブザーが鳴って、バクスターの顔が見えて おしまい、くらいの意地悪さがおれは好みだ。

こういう、「もし・・・」を語れる映画って、素晴らしい。
要するに、物語の語り口と、シャーリー・マクレーンのしたたかさにウットリしてしまい、夢中で過ごした2時間だった。


■恋愛映画は、もう女子中学生のものか?


おれは、ほとんど映画館に新作邦画を観に行っていないのだけれど、
仕事場がシネコンの近くなので、最近かかっている映画のタイトルくらいは見聞きしている。

恋愛ものが、ことごとく女子中学生向きではないですか?


もう、オジサンは映画会社のターゲットから外れているのかもしれない。
「オジサンは映画館に通わない」と思われているのかもしれない。

うん、そうだ。
だって散々「オジサン向け」の皮をかぶったメジャー映画に騙されたんだもの。
そりゃ映画館から足も遠のくよ。

たまには、オスに向けた恋愛映画も観てみたい。
数少ない経験から言えば、大根仁さんの「恋の渦」は素晴らしかった。

ヒットしたオス向けの恋愛映画といったら、同じく大根仁さんの「モテキ」かな。
あれは、中学生の観るAVだったけれど、オジサンがうっとりする恋愛もの、また観たいな。


SNSよ、社交界ではなく、物語の断片であれ

■SNSとやらが定着して、ずいぶん経つ


SNSは、実名、半・匿名で面白さが異なる。
facebookは原則、実名で使うルールだ。
twitterやelloは、どちらの使い方もできる。


■実名SNS


実生活の知り合いとつながる、実名SNSは好きではない。

町内の回覧板がわりに使ってはいる。
災害時や年賀状がわりの近況報告と同窓会の連絡には便利だ。

 しかし、それ以上の利用をしようとすると、
承認欲求とも違う、社交にかける強迫観念を感じて、辛い。


■半・匿名SNS


 twitterやelloを実名で使い、実生活の知り合いとつながっている人もいる。
が、概してつまらない。

有名人でもない限り、公開の場で会話する価値はないのだ。
実生活上のコミュニケーションをとるのに、いちいち公衆の面前に出る必要はない。

 いっぽう、実生活から離れた半・匿名で使われるSNSは未だに面白い。
みんながアカウント名を、ペンネームや芸名として使っていて、実生活の知り合い全員には知らせない。
親しくなれば互いにアカウントを知っていたりする、くらいのユルい閉ざされ方。

結局流行らなかった、セカンドライフに近い。
匿名掲示板とは違い、アカウント名で筆致に同一性がある。
必死にやれば個人特定も不可能ではない、とみんな知っているので、匿名でしか言えない暴言は少ない。

書かれていることが、事実か、半分事実か、虚構かわからないのも好きだ。
アイコンが美男美女だと、イイコト言ってる気がするのが単純でオモシロイ。


■物語の断片


最近、ドン・キホーテと仁義なき戦いにハマった。
物語にハマるのは久しぶりだ。

物語を読んでいる間は、SNSを見る回数がだいぶ減った。
SNSは、おれにとって物語の断片だったのだと気づいた。

一般人が事実と妄想の捌け口にしているSNSより、
時代の選別を経た、本物の物語のほうが面白かった。


■物語の読み方


大人になると、物語が読みづらい。

本はよく読むほうだが、隙間時間で断続的に読むことになる。

すると、実生活やSNSで見聞きする物語の断片と混線してしまうのだ。


物語を集中して読む時間は、なかなか確保できない。

こどもを寝かしつけるのに、物語を読み聞かせするのは、大人にとって願ってもない機会なのかもしれない。





2015-11-22

悪夢の愉しみ方

■夢のなかの街


こんな夢をみた。と、時々、日記をつける。
起きてからも、ずっと印象に残る夢がある。

おれの夢は、同じ街で起こる。
時間や、登場人物、出来事はバラバラなのだが、
建物や風景の断片がつながることに気づいた。


■街の断片


方角はわからないが、にぎやかな駅を中心に東西に高架が走る。
西側で、電車と高速道路が交わっている。
高速道路の下には、シンガポールを思わせる飲食店、ラーメン、喫茶店などが並ぶ。

高速道路と駅の間には、歓楽街があって、
ゴミゴミとした路地に、雑居ビル、飲み屋、風俗店。
華やかなネオンはなく、陰鬱とした、猥雑さがある。

おれは、夢のなかでこの辺りをウロウロしている。
この間は、駅から路地を通り、歓楽街へ抜けた。


■こどものあそび


こどもが、自分の家のまわりを開拓する感覚だ。
知らない道を歩いていくと、知っている店の横に抜けたり、
友達の家に着いたりする。

こどもの頃は、親に連れられて通った街の断片がつながった。
今は、夢で観た断片がつながっている。


■街での出来事


夢のなかでも「あ、こう つながっているんだ」と喜びがあった。

喜びと、「また、この街にいるのか」という閉塞感。


夢のなかで、この街で起こる出来事は、あまり明るくない。
悪夢というほどではないけれど、後味に苦味が残る。

この間は、アパートの二階から飛び降りるぞ、と わめき散らす老人の演説を聞きながら、コートの襟をたてて、路地を逃げるように走った。


■悪夢の愉しみ


おれは、夢のなかでは、ふだんに増してボーッとしている。
それでもさずがに最近は「この街並はいやな気配がするな」と感じるようになってきた。
そして、いくつか出来事が起こった後「あの街だ」と気づいた時の絶望感。

ま、考えようによっては、悪夢のなかにちょっとした愉しみがあるのだ。
「なるほど、この路地はここにつながるのね」と。


2015-11-21

「最強の食事」「最高の食事」の前に、どこに行っても同じ店、同じ味、同じ光景じゃないか

■話題の「最強の食事」に目を通した


細かな食べ物のアドバイスのすべての実践は難しいが、
おれはカフェイン中毒なのでBulletproof Coffee「完全無欠コーヒー」はゼヒ飲んでみたい。


■主旨は「ちゃんとこだわって、高くてもいいものを食え」


よく「脂はとっても太らない」みたいなこと言われるけど、ファーストフードの脂は太る。
あたりまえのことなんだけど、「良い」脂なら太らない、ってこと。
そして、良いものは当然、高い。

コンビニや高級スーパーあたりで、本書と連携した特集コーナーしてくれないと実践できないな。
と、そんなことを思うくらい、会社に属して仕事をしていると、食生活のコントロールって難しい。

朝、バスや電車で通勤して、
昼は、オフィスの近くで外食するか、スーパーのお惣菜やコンビニ弁当。
夜は、昼食と同様か、自宅で簡単に自炊する。

こういった、おれに似た生活スタイル(つまり収入レンジ)の人は、実践が難しいだろう。


■絶望的な光景


本書を読んだ次の日、昼の12時に絶望した。

自分のオフィス周辺の昼食の選択肢は、
ファーストフードと、添加物の香り高いレストラン・チェーンばかり。


健康やダイエットに良い悪いだけではない、味気ない食事。
日本全国、どこに行っても、同じ店、同じ味。

これが、おれの親父や祖父の世代が作りたかった光景なのか?

これから格差が拡がると、「最強の食事」「最高の食事」をとる裕福な層と、
そうでない層に分かれていくのだろうな。

本書に書かれているようなことが科学的事実なら、
日常的に食べるものの違いから、遺伝的な差異が生まれてもおかしくない。

おれは裕福ではないけれど、ちゃんと食事にお金を使って、
ヘタなものを食う機会は減らそうと思った。


2015-11-14

立川談志「居残り佐平次」の凄い映像

■立川談志「居残り佐平次」の映像/音源のなかでも、これは特別


テンションの上がり下がりが凄くて、
生々しくて非現実的、という不思議な感覚。

バカを演じる利口
狂ったふりをした冷静
夢想家を模した諦念
陽気を装った希死念慮

どっちが本性なのか、わからなくなる。
立川談志の躁鬱イメージとも重なる。


■迫力があって怖いが、共感もできる不思議


自分が、とても気持ちよく遊んでいる時の極致が佐平次だ。

ウソとホントが混ざる。
そこにないものが見える。





ふだんの佐平次と、設定や演出が違う。
失念をごまかしたり、あえて遊んでいたり、ジャズのように演じている。

細かいところのツジツマはたぶん合っていないけど、ナマナマしく「伝わってしまう」。

ええもんを観た。



ステッペンウルフ "Born To Be Wild" のモノを探して

■みんな大好き、ステッペンウルフのBorn To Be Wild


以前、どこかで聴いたモノラルのシングルバージョン。
アルバムとは全然違って迫力がすごい。

心地のよいヤカマシサで、グサリと刺さった。
レコード屋さん行く度に探しているんだが、見つからない。


モノラルのシングル音源は、ファン人気も高いらしく、
最近、音源が発掘されて編集盤CDが出ていた。

ズンドコ、モッサリ、心地よくやかましくて、とても良い。
知っていた曲も「こんなカッコよかったっけ?」ってくらい印象が違う。

奥田民生がイージューライダーのアレンジで真似したり、
シャネルのCMで使われたり、地味によく聴くThe Pusherも、モノのほうがかっこいい。

残念ながら、Born To Be Wildは、おれの聴いたのと微妙に音色が違う。
これもいいけど。
ファーストアルバムのリイシューにも入っているそうなので探してみる。

■もし、これから買う人がいたら輸入盤がおススメ


国内盤は輸入盤より500円以上高いけど、中身は輸入盤。
要するに、輸入盤に日本語の帯つけてビニール袋に入れただけ。

ブックレットが厚め、と知っていたので日本語訳を期待して
国内盤を買ったんだけど残念。



そうそう、あとamazon.comのレビューが熱くて、読むとほしくなっちゃうよ。

2015-11-11

読書感想文「ドレの絵で読む ドン・キホーテ」


NHKのドキュメンタリー「ロストロポーヴィチ 75歳 最後のドン・キホーテ」を観て、ドン・キホーテ熱が再発。

本棚に岩波文庫がみあたらない。
読みやすい児童書で探そうかと思っていたところ、本屋で見つけて気になっていた本書を思い出し、amazonで即効ポチった。




■ユーモアが乾いている


世情も時代もちがう。だから、描かれている情景や出来事は完全に理解はできない。

登場人物の突飛な言動、ちょっとした言い回し。
すごく可笑しいのだが、あまりにサラリと表現されているので、笑っていいところなのか、わからない。
翻訳者も演出しようがなく、ユーモアがカラッカラに干からびている。

実は、コレが一番、おもしろいのだ。
「笑っちゃう」んだ。

■狂気の自覚


サンチョは「自分の主人は狂っている」とたびたび口にする。
それでも、主人についていく。そしてたびたび酷い目にあう。

サンチョは狂人なのか、狂人のふりをしているのか、いたって正気なのか。
寺山修司か、ポール・オースターが作中で言及していたと思うのだが。

ドン・キホーテ自身も、自分は妄想にとりつかれている、と自覚している。
それでも、妄想が実存するかのように生きる。

ドン・キホーテと出会い、取り囲む人々は、
ドン・キホーテの妄想をからかい、面白がっている。
自分たちが「正気」だから、妄想をからかうことでしか生きられない。


■ほんとうに、おかしいのはどっちだ。


サシャ・バロン・コーエンの「ボラット」や「ブルーノ」に通じる、ユーモアの恐ろしさを感じる。

まず、あるひとりの狂気がおかしな騒動をおこす。
まわりの「正気」な社会が騒動のまきぞえを食らう。やがて、狂人をおもしろがる。
すると社会そのものが常軌を逸して、狂気を帯びてくる。

そのドタバタを笑ったり、おもしろがっている観客は、自分が狂気に飲みこまれていることに気づく。
笑っている自分の背筋が凍る。
ニーチェの「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」。


■初めて読了した


これまでに岩波文庫を手に取ったことがあったが、長いのと、情景がわからないところが多々あり、何度も断念していた。

それが、挿絵によって理解が助けられ、また省略されている箇所もあって短くなっているのでスンナリ読了してしまった。

岩波文庫の完訳にも再チャレンジしたい。ドン・キホーテのマンガが描きたくなったので、描きながら読みすすめてみようかな。



同じく、ドレの挿絵が楽しめるコッチもほしいな。




2015-11-03

かんかんのう

 落語「らくだ」や映画「北の螢」で
印象的に使われる、あかるくてなぜか悲しい歌。

「九連環」という中国語の歌の、
語感を真似て歌い継がれたものらしい。

外国語の口ざわりを楽しみながら、
意味不明な歌詞を歌うあそびは楽しい。

サザンオールスターズの
「シュラバ・ラ・バンバ」などの歌は、
まさにそういう楽しさがある。

かんかんのうについて、いくつかネットや資料で調べたので書く。

■日本語の歌詞(というより表音)


かんかんのう きうれんす
きゅうはきゅうれんす
さんしょならえ
さあいほう
にいかんさんいんぴんたい
やめあんろ
めんこんふほうて
しいかんさん
もえもんとわえ
ぴいほう ぴいほう


■元歌の意味


「かんかんのう きうれんす」は、
中国語の「看看奴 九連子 (ねえ、こっちを見て。九つの輪のついた指輪を。)」の
名残があるらしい。

歌詞の意味は諸説あるが、
大意を自分なりに訳すと

「ねえ、私がもらった指輪を見て
九つの輪が連なった
手では解けない
刀も切れない
だれか、解いてくれない?
夫婦になってもいい
だれか、いいひと」

身請けされるのを待つ遊女の歌に聞こえる。
「北の螢」で悲しく聞こえるわけが、
少しわかった気がした。