「男たちの港」と書いてある床屋が、近所にある。おれは坊主頭なので、ふだんは自分で刈って済ますのだが、どうしてもその床屋が気になり、意を決して入ってみた。
カタブツそうな亭主が迎える。客はいない。夫婦経営のようだ。奥さんもエプロンをして立っている。
亭主に髪を切ってもらい、シャンプーから奥さんに替わる。シャンプーの後、耳ツボのマッサージをしてもらう。エステのようなサービスや、「男たちの港」の看板は、どうやら亭主ではなく、奥さんの創意工夫によるものらしい。創意工夫のある女性は、顔の造作に関わらず、美人に思える。
耳は一応、性感帯のひとつなわけで、亭主が暇そうにしている横で、奥さんに耳を刺激されている
この情景は、とてもシュールだと気づく。
すると、常連らしきおじいさんが入ってきて、無言で隣のシートに座った。おれは、おじいさんを目で追いながら、奥さんにヒゲを剃ってもらうのを待つ。
亭主がおじいさんに「社長、死んじゃったんだってね」と話しかける。死から会話が始まる事に、おれは驚きを隠せない。映画「ゴッドファーザー」でも「仁義なき戦い」でも、床屋は死と隣り合わせの場所だった。さすが「男たちの港」は、話題もハードボイルドだった。