とあるコンビニで怖いものを見た。うまく文章で表現できるか、また読んでいる方が卒倒しない程度に怖さを伝えられるか、自信はないが、書きたいと思う。
そのコンビニはオフィス街にあり、まわりで働く会社員が主な客層だ。客足はあわただしいが客単価は低いだろう。3つ並んだレジはいつもフル回転だ。おれが訪れた時も、3人の男性店員がレジにいて、順に客の列を捌いていた。
列に並び、会計を済ませ、店を出ようとすると、「ありがとうございます」が聞こえた。レジにいたのはみんな男性店員なのに、声の主は女性だ。ふと、店内を見まわしたが、他に店員はいない。
声の主は幽霊ではなかった。レジの脇に、小さなスピーカーが置いてあって、延々と「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」という音声が流れていた。
これを見つけた時、おれはゾッとした。こ、こ、怖い!そして、気持ち悪い!
おれはレジの脇で立ち尽くしてしまった。音声は、複数の声優(主に女性)を使い分け、いろんなトーンの「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」をループ再生している。さらに、気持ち悪い。
この怖さ、気持ちわるさは、どこから湧いてきたのだろう。
スピーカーから流れる「ありがとうございます」は、言葉が本来表現している意味、気持ちから、最も遠い。「ありがとうございます」という音は鳴っているが、まったく何も意味していない。意味のない記号だ。
このコンビニの経営者は「『ありがとうございます』は、音として鳴っていればよい」という考え方なのだ。客の数は多いが単価が低い店舗であれば、回転数を上げたい。そのためには客一人あたりにかかる店員の時間を削減したい。一番、時間がかかって疲れるコミュニケーションの量を減らす為に、「ありがとうございます」マシーンを導入したのだろう。
この経営者は、近い将来、接客やレジを人工知能が担うようになったら、人口知能に「ありがとうございます」を言わせるだろう。そして、それは意味のない記号だ。その考え方は気に入らないが、間違っていないと認めざるをえない。「意味のない記号」は今も日常にあふれているのだ。
意味のない記号が、すんなり日常に溶け込んでいる例は、コンビニ店内を見まわしただけで枚挙にきりがない。
店員は、商品を陳列しながら、棚に向かって「いらっしゃいませ」と叫ぶ。店内BGMで尾崎豊が「アイラービュー」と歌っていても、人は皆、無表情で買い物をする。雑誌のコーナーに行けば、芸能人が不倫報道で叩かれているかと思えば、「美人人妻の云々」という扇情的な見出しが躍る。お洒落な雑誌の「スローフード特集」がコンビニに置いてあるのも、何かの冗談か。
逆に、意味のない記号に、感情が動かされることもある。条件反射だ。
夕方、ふとつけたテレビで玉川カルテットが「金もいらなきゃ女もいらぬ、あたしゃも少し背が欲しい」と唸れば、意味を通り越して、おばあさんの横隔膜はアハハと振動する。クラブでEDMが流れていたら、記号のような盛り上げポイントで、気分はそれなりに高揚する。セックスじゃなくても、シリコンに性器を挟んでいれば気持ちいい。もっと言えば、シリコンを見ただけで欲情するかも知れない。
少し、話がズレてしまった。シリコンの例は、ちょっと違うかも知れない。あはは。
スピーカーから流れる「ありがとうございます」が気持ち悪い理由。それは、「意味のない記号に、感情が呼び起されている」という事実に気づかされるから、だ。
スピーカーや人工知能が「ありがとうございます」と言えば、それが意味のない記号だとわかっていながら、おれの感情はピクリと動く。無意識に、意味を見出そうとしてしまうから、感情が動くのだろう。意味のない記号に、ピクリピクリと反応しているうちに、どっと疲れて寝たきりになってしまいそうだ。