2017-02-13

なぜ、あなたが勧める映画は観たくないのか

 最近、映画館に足を運ぶ機会が増えている。館内も、以前より席が埋まっている。もしかしたら、おれと同じように「映画館によく通うようになった」と感じる人は多いかもしれない。それに、最近、映画館で観た作品はどれもよかった。単館系の新作も、憧れていた名画も、帰り道の風景がちがって見える、素晴らしい体験ばかりだ。


 素晴らしい映画を観た時は、しばらく独りで反すうしたい。そして、一晩考えた後、感想や解釈を誰かと話したくなる。周りの人に「あれ、観に行った?」と聞くけれど、残念。誰も観ていない。こんな時に、おれは困る。きっとオモシロイから観てほしいし、なんならおれが2回目観に行く時に一緒に行く?って言いたい。言いたいんだけれど、自粛する。

だって、おれだったら、前情報を知りたくないし、初回は独りで観たいからだ。おれが映画を勧めたい相手も、きっと同じだ。だから、おれは「すごく、よかったよ」とだけ言って、自粛する。その映画の好きなところや、疑問や、感想は自分のノートに書くことになる。


 たまに「なにか映画観たいんだけれど、お勧めある?」と、聞かれると難しい。うまく答えられない。作品の選択よりも、お勧めの仕方が難しい。相手が「観たい!」と思って、観た後に「ああよかった!」と思う、勧め方。説明が少ないと「観たい!」と思わせられないし、多いと解釈の押しつけや、最悪の場合ネタバレになってしまう。自分の好きな映画のファンを増やすことができるのか、関心の芽を刈ってしまうのか、責任は重大だ。

 自分の周りの、映画の進め方が上手な人、下手な人のことを思い返してみた。知人に、勧めるのが下手な人がいる。この人は、映画を勧めることが好きで果敢に、積極的に勧めてくる。

しかし、残念ながら一度も「観たい」と思ったことがない。逆に、勧めてくれた作品が、前から観たいと思っていたやつだと、ガッカリ。「げ、あなたが勧めてくれたから観に行くんじゃないからね」と思う。既に観た作品だとホッとする。

この人がよく使う言葉が「日本人なら観るべき!」とか「〇〇なら観るべき!」だ。おれはいつも「何故あなたが日本人を定義するのか」と思う。「今年一番の傑作!」とか言われると「別にあなたの審美眼なんざ、誰も信用してないんだけどな」とすら思う。

この人がお勧めしたいのは作品じゃなくて、「映画を観た私」だ。この人が話したいのは自分の話。例えば「映画に出てきたシーンと似た状況の体験」「映画とまったく同じセリフを自分が言った場面」の話だ。だから、「あ、私もその映画観ました!」と言っても、不思議と、作品の感想や解釈については話がはずまない。だって、実は映画そのものはどうでもいいから。

 いっぽうで、勧めるのが上手い人は、作品の「好きなところ」をきちんと語る。

おれもお勧めする時には後者でありたいのだが、難しい。タモリ倶楽部に出てくるマニアックな趣味の持ち主や、アメトーークに出てくる芸人さんを見て、「好きなもの語り」が上手な人に憧れるのだ。