Pen FVを持って散策するのが楽しい。載せても載せても足りないくらい撮り溜めている。紙焼の写真を、もう一度撮るのも面白い。写真は気取らず撮って出していくのがよい。
インスタグラムは「撮って出す」快感をあたりまえにしてくれたのが最高。以前ツイートしたとおり、インスタグラムを浅ましい承認欲求と結びつけて理解するのはもったいない。
「インスタ映え」というコトバには「承認欲求の滑稽さ」というニュアンスがすっかり染みついてしまった。— 黒石 三太 (@5antaClau5) 2017年11月19日
昔から「絵になる」とか「風流だ」とか、他人の視線や評価基準を気にするのは当然だったし、ヘルシーなことだったのに。なんで否定的にとられるようになったんだろ。
インスタグラム以前、以後で写真の撮り方が変わった。以前だったら撮らなかった写真がたくさん撮られてきた。これはすごい文化資産、資料だ。過渡期を過ぎれば、人類の撮る写真のほとんどが集積する文化遺跡として、味がでてくる。人類が滅んだ後の考古学的にも貴重な資料だ。