NHKのドキュメンタリー「ロストロポーヴィチ 75歳 最後のドン・キホーテ」を観て、ドン・キホーテ熱が再発。
本棚に岩波文庫がみあたらない。
読みやすい児童書で探そうかと思っていたところ、本屋で見つけて気になっていた本書を思い出し、amazonで即効ポチった。
■ユーモアが乾いている
世情も時代もちがう。だから、描かれている情景や出来事は完全に理解はできない。
登場人物の突飛な言動、ちょっとした言い回し。
すごく可笑しいのだが、あまりにサラリと表現されているので、笑っていいところなのか、わからない。
翻訳者も演出しようがなく、ユーモアがカラッカラに干からびている。
実は、コレが一番、おもしろいのだ。
「笑っちゃう」んだ。
■狂気の自覚
サンチョは「自分の主人は狂っている」とたびたび口にする。
それでも、主人についていく。そしてたびたび酷い目にあう。
サンチョは狂人なのか、狂人のふりをしているのか、いたって正気なのか。
寺山修司か、ポール・オースターが作中で言及していたと思うのだが。
ドン・キホーテ自身も、自分は妄想にとりつかれている、と自覚している。
それでも、妄想が実存するかのように生きる。
ドン・キホーテと出会い、取り囲む人々は、
ドン・キホーテの妄想をからかい、面白がっている。
自分たちが「正気」だから、妄想をからかうことでしか生きられない。
■ほんとうに、おかしいのはどっちだ。
サシャ・バロン・コーエンの「ボラット」や「ブルーノ」に通じる、ユーモアの恐ろしさを感じる。
まず、あるひとりの狂気がおかしな騒動をおこす。
まわりの「正気」な社会が騒動のまきぞえを食らう。やがて、狂人をおもしろがる。
すると社会そのものが常軌を逸して、狂気を帯びてくる。
そのドタバタを笑ったり、おもしろがっている観客は、自分が狂気に飲みこまれていることに気づく。
笑っている自分の背筋が凍る。
ニーチェの「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」。
■初めて読了した
これまでに岩波文庫を手に取ったことがあったが、長いのと、情景がわからないところが多々あり、何度も断念していた。
それが、挿絵によって理解が助けられ、また省略されている箇所もあって短くなっているのでスンナリ読了してしまった。
岩波文庫の完訳にも再チャレンジしたい。ドン・キホーテのマンガが描きたくなったので、描きながら読みすすめてみようかな。
同じく、ドレの挿絵が楽しめるコッチもほしいな。